いの日記

文字打ち練習を兼ねたこころのモヤモヤ吐き出し場

朝読書

おはようございます。

普段寝る前に日記を書いてるんですが、試しに起床直後に書いてみることにしました。

目を覚ました時って無意識にtwitterやら5chやら見ることが多い気がして、なんかちょっと習慣を変えたいなと思ったわけで。

 

今日はまぁまぁ晴れてますね。

 

とりあえず洗濯機に服をぶちこみ、ゴミ箱の取り換え、シンクのゴミを軽く片付ける。それと歯磨き。

 

せっかくなので洗濯待ちの時間、前に買った本『科学的に正しい筋トレ 最強の教科書』を読んでみる。

この本の最初の部分にそもそも"科学的に正しい"とはどういうことか、が書いてあり、まずそれが気になったんですよね。

 

僕は人生やコミュニケーションについて考え悩むことが多くあり、どうすれば幸せなのか、ってうんと考えるときはありえんほど張りつめて悩んでたので。

今まで"科学"に関して、なんというか当たり前以上の感覚を有していない気がしていて、改めて科学的な正しさをこの本が解説しているのが、僕の目に留まったんですよね。

大事なことって色々あると思うんですが、先人たちが積み上げてきた科学ってのも、自分の人生を考える上では軽視できない要素かなぁと改めて思ったわけで。

 

 

どうやら、研究には介入研究と観察研究なる2種類が存在するらしい。ざっくり言うと被験者に手を加えるのが介入、データだけ取るのが観察。んで、介入研究の方が比較の質が高く、エビデンスレベルが高いとのこと。

 

…なんかエビデンスっていうと、その響き的にお堅くて格式あるもの、これ言える私ちゃんとそこら辺の知識丸々分かってますわよ、的なカタカナ語特有のイメージが勝手に沸く自分ですが(ど偏見)

まぁでも日本語で"科学的根拠"ていうとスッと入ってくるので、自分がカタカナ語に抵抗があるだけなのだろう。多分漢字だと字から意味が入ってくるので納得できるんだろうな。

 

まぁそれで言いたいのは、科学的根拠の確かさのレベルは、研究のやり方の"比較の質"で判断できるとのこと。

 

なんか僕は比較っていうとマイナスなイメージを持ちがちだったり…ある時期コミュニケーションで他者との優劣を無自覚に見ていた自分に気付き、あぁ、違う互いが幸せになる選択肢を考えるべきだ、見るべき視点が違う、と思い至ったことがあり…

まぁでもここで大事なのは目的なんですよね。単に比較をどう使うかって話。後は受けて次第なわけで、目的をもって比較すること自体は別に悪ではない、はず。

 

冒頭からだいぶ考えこんでしまったので、とりあえず今日の朝読書はここまで。とりあえず読み進めろよ、って言いたくなるけど、性格的に一回一回引っかかっちゃうのよね。まぁ読めるときは早く読めるので… また気が向いたとき手にとってみよう。